Shedding

今朝もいつも通り5時半に目が覚めた。
けれど、なんとなく体が重く、心もモヤモヤしている。
こういう時は、机に向かうよりも体を動かした方がいい。
そう思い、帽子をかぶり、スニーカーを履いて、近所の公園までゆっくり歩き始めた。
足元のアスファルトに、朝の光がうっすらと差し込んでいる。
しばらく歩いているうちに、最近ずっと心にある「脱皮」という言葉が頭をよぎった。
この数ヶ月、私は断捨離を続けている。
着なくなった服、読まなくなった本、机の奥にしまった古い書類や写真。
「これは本当に必要か?」と問いかけながら、一つひとつ手放してきた。
同時に、髪を思い切って数年ぶりに短く切ったりもした。
鏡を見るたびに、自分の輪郭が少しずつ変わっていくのを感じている。
私は、こうした変化を「脱皮」と呼んでいる。
人間の脱皮には二つあると思っている。
ひとつは「物理的な脱皮」、もうひとつは「精神的な脱皮」だ。
物理的な脱皮:世界を変えることで、自分が変わる
この「物理的な脱皮」は、暮らしや見た目、環境といった“外側”を変えることだ。
たとえば、服を変えるだけで、なぜか心が引き締まったり、軽くなったりする。
部屋を片づけると、思考も整ってくる。
断捨離をすれば、心にも余白ができてくる。
数学でいえば、これは自分という「変数x」を包んでいる「関数f(x)」
——つまり“環境”が変わるということ。
x(自分)そのものは変わっていなくても、
周りの関数f(x)が変われば、
xの見え方や意味も変わってくる。
もっと大きな例なら、卒業がある。
高校生が大学生になる。制服を脱ぎ、自由な服を着て、新しい人間関係、新しい土地に飛び込む。
これはまさに、「生活という皮を脱ぐ」体験だ。
精神的な脱皮:自分の“意味”が変わるとき
物理的な脱皮が「外側の変化」だとすれば、精神的な脱皮は「内側の変化」だ。
たとえば、服を変えて気持ちが前向きになるとき、
部屋を整えて頭の中もスッキリする感覚。
あるいは、新しい土地に引っ越して、「私は何者か?」とあらためて問い直すような時間。
これは、いきなり別の人間になる“変身”ではない。
もっと静かで、本質的な「枠組みの変換」——
リフレーミングに近い。
今までの自分の考え方や、「こうであるべき」という思い込みを一度ゼロにして、
そこから新しい自分の価値観を築き直していく。
それが、精神的な脱皮だ。
物理的な脱皮があるからこそ、精神的な脱皮が始まる。
今の私は、その入口に立っているのかもしれない。
今日の朝の散歩は、そんな思考を一歩ずつたどる、静かな時間だった。
「脱皮できない蛇は死ぬ。」
――ニーチェ(哲学者)
原文では「If a snake is unable to shed its skin, it perishes.」
自分を変えることができない者は、やがて滅びるという厳しい真理。
「生きる」とは常に脱皮すること、という哲学的な一言

守田 智司

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