1979年 昭和54年 『我が家にテレビが無くなった日』

92歳になる父との昭和の古き良き思い出、
その中でも特に印象深い出来事が、
私が中学3年生の時,
1979年、昭和54年のことです。
私の中学生時代、
日々の楽しみは、
スマホなんて無い時代でしたから
テレビで繰り広げられるアニメの世界でした。
「機動戦士ガンダム」
「ベルサイユのばら」
「タイムボカンシリーズ ゼンダマン」などなど
チャンネルを変えるたびに、
心奪うアニメの歌と映像。
私はその魅力にとりこになっていました
しかし、受験の季節が訪れると、
突如として私のテレビ観賞が幕を閉じることになりました。
父の眉間に刻まれた深いしわが、その厳しい決意を物語っていました。
4月のある朝、部屋に足を踏み入れるなり、
父の厳しい声とともに、テレビは金庫の中へと閉じ込められました。
父、その姿はまさに昭和の頑固者。
巨人の星に登場するような、星一徹そのもの。
だから逆らうなんてできません。
その日、我が家からテレビが無くなりました。
昼夜、アニメのキャラクターたちの冒険譚を楽しむことも、
夢中で物語に没頭することも許されないのです。
ある日、私はどうしても我慢ができなくなり、
覚悟を決めて父の前に立ちました。
私にとって唯一の娯楽を取り戻すために!
胸の高鳴りが耳をつんざく中、
肩を震わせながら「テレビを見せてください!」と訴えました。
しばらく沈黙が続きます。
目をつぶりながら父の返事を待ちます。
怒鳴られるかと覚悟していたのですが、
なんと父は微笑みを浮かべ、
そして、思わぬ言葉を口にしました。
「お前、何をそんなに必死になっているんだ。」
「テレビなんか見なくても、死なん!」
その一言に、不思議と怒りを抱くことはなく、
なんかあまりにも潔くて
その父の言葉に妙に納得する自分がいました。
「そうだ、テレビを見なくても人は死にはしないんだ」と
むしろ自分を励ましているような気がしました。
そして、それから受験が終わるまで、
私は再びテレビを見ることを望みませんでした。
その結果、志望校に合格することができたんですけどね。
その後、時折、父は自分が見たいときだけ、
金庫からテレビを取り出し、
ひとりで野球中継なんかを見ている姿を見て・・・
人生で初めて理不尽という言葉を学びましたね。
((笑))
守田 智司
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