親鸞聖人に会いに、五井町の常圓寺へ。明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

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おはようございます、未来義塾の守田です。
朝活として歩くことを続けるようになって三カ月間が経ちました。
後期中間テストが終了して、14日間ぶりのお休みを頂いた今日。
体に疲れがたまっているはずなのですが、仕事のことを気にせずに「今日は、思いっきり歩ける」と思ったら、知らずに知らずに歩いていました。

どこまでも続く晴天の下、五井町の常圓寺まで往復6㎞程度。
実は最近親鸞聖人の言葉に触れることがありました。
その言葉というのが・・・
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

親鸞聖人といえば、鎌倉時代初期の僧。
浄土宗の法然の弟子であり、浄土真宗の宗祖。
この言葉は親鸞聖人が九歳で詠ったと伝えられています。
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
意味は、
今、美しく咲いている桜が、明日も見ることができるだろうと安心していると、
夜に強い風が吹いて桜の花が散ってしまうかもしれない。
親鸞聖人が9歳の時、仏門に入り僧侶として生きると決心し比叡山の青蓮院を訪れた際、すでに夜だったので、「夜も遅く疲れているから得度式は明日の朝にしたどうか」と慈円僧正から言われます。
しかし、9歳の親鸞聖人は、「明日まで待てない」と伝えこの歌を詠まれたそうです。
自分の命を桜の花に喩え、
「いま美しく咲き誇っているこの桜も、もしかしたら夜の嵐で散ってしまうかもしれない。」
「明日があると思わず、今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められています。

実は、先月に非常に悲しいお別れがありました。
突然のことでした。
痛み、不安、無念、そのひとつ一つの哀傷を溢れる涙で溶かすことしかできない。
命の無常を観じました。
その時、親鸞聖人のこの言葉に出会ったのです。
闇去

50代後半に入った私の人生。
生きるということに関して、私は今がすべてだと思います。
昨日も、明日もありません。
コロナ禍にあり、萎縮し、もう少し落ち着いたら・・・
否
「やりたいこと」「なさねばならぬこと」を先送りせず取り組む生き方を送りたい。
「今を精一杯生きる」ことを目標に、
我が心の闇を去れと・・・
青空の拡がる常圓寺の親鸞聖人の像の前で誓うものでした。

真宗大谷派 常圓寺
〒443-0003 愛知県蒲郡市五井町堂前8
守田 智司
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