アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語➀】

時代は、1986年の夏に遡ります。
私は、碧南工業高校環境工学科を卒業し、
そのあと中部大学の工学部応用化学科で無機化学、有機化学、分析化学、化学工学などを学んでいました。
この大学時代の4年間は、講義を受けている記憶よりも、
空手の稽古でひたすら汗を流していました!
大学の道場で、先輩の上段正拳突きを顔面にまともに受けて前歯を折ったり、
右足でローキックを蹴ったら相手の脛に当たり、親指の付け根が割けて麻酔なしで3針縫ったりと、
まぁ、ケガばかりして随分親に心配をかけましたね。
今からでは信じられない程のブラック部活で、昭和のTHE空手部でした。
この時の経験が沁みついていて、今でも目上の方で返事する時は、「押忍」と言ってしまいます。((笑))
娘の高校のPTA副会長の時も、会長から話しかけられると反射的に「押忍」と大きな声で返事をしてしまい、
PTA役員のご婦人方から「何?あの人」みたいに思われていました。((笑))

でも、空手が好きで好きで講義が無い日でも、大学の道場には毎日通っていました。
そしてここで、本当に精神的に鍛えられました。
まさに「ド根性」みたいなもの、そして、礼儀。
「空手道は礼に始まり、礼に終わることを忘るな」のごとく、守礼の武道です。
稽古で武道精神を身に付け、技と共に勇気・礼節・克己心が磨かれました。
これが後々、アメリカに行った時にも凄く役立ちました。
当時は、ラルフ・マッチオ主演の「ベスト・キッド」が日本でもアメリカでもヒットしていましたからね。
そして大学4年の時、卒業せずに大学院に進学するつもりだったので、全く就職活動もしないまま・・・
沢木耕太郎氏の1986年から92年までに書き下ろした『深夜特急』の旅行記に触発され、
夏休みの40日間でアメリカをバスで回る旅へと出発しました。
今思えば、多分のこの選択が、その後塾の先生になるきっかけになったのだと思います。
1986年の夏

バックパッカーとして、トップスはTシャツ1枚、ボトムスはリーバイス1本。
いつでもどこでも野宿ができるように バックパックに寝袋と少しの着替え、
それから石鹸に洗濯ロープだけを詰め込んでいました。
当時は、スマホもユニクロのエアリズムもありません。
とにかくびっくりするぐらいシンプルな装備でした。
あっそれから、バックパッカーのバイブル「地球の歩き方」は必需品でしたね。
当時は、まだ中部国際空港はなかったので、新たな国際空港として1978年に開港した成田空港から出発。
当時の成田空港といえば反対派を支援する新左翼活動家らによるテロやゲリラ事件が多発していて、
機動隊の警備や空港の周りがバリケードで覆われ凄く物々しい雰囲気でした。
奇しくも、うちの娘が昨年5月にカナダへ留学へ旅立ったのも成田だったので、なんか感慨深いものが成田にはあります。

10時間のフライト後に到着したのが、サンフランシスコ。

そこから広いアメリカを小さな町まで網羅している長距離バス「グレイハウンドバス」を無制限に乗車できるチケットを使い、

サンフランシスコから
ポートランド、
ソレクレイトシティ、
インディアナポリス、
ケンタッキー、
アトランタ、
エルパソ、
ダラス、
ロサンジェルス&ハワイの全行程を40日間で移動。

夜にバスで移動し、随分ホテル代を浮かしましたね。
でもその分、バスで多くの人達と出会うことができました。


最初のサンフランシスコで、「マクドナルド」が通じず、1時間以上かけて「マック」を探すことになり自分の英語力の無さを痛感させられたアメリカ。
ロサンゼルスの金色に輝く夜景に、夢を抱かしてくれたアメリカ。
ちなみにマクドナルドの発音は・・・
マクドナルドは英語表記は「McDonald’s」
発音記号は [məkˈdɒnldz]
発音する時は、「Mc」と「Donald’s」の間で切るイメージです。
カタカナにすると「ミックダぁーノーズ」という感じでしょうか。
当時YouTubeがあったら、あんなに苦労しなかったと思いますね。

樹齢2700年を超えるセコイア杉、
アメリカ最大の落差を誇るヨセミテ滝、
巨大な半円形の花崗岩ハーフドーム、
世界最大の花崗岩の一枚岩エルキャピタン、
この世のものとは思えぬほど美しい景色を見せてくれたアメリカ。
多様性

私にとって始めての異国の地。
文化・習慣・宗教・全てが異なる環境の中に留まることで、初めて自分は日本人だと感じることができたし、
それが自分の常識や狭い価値観を蹴り飛ばしてくれたと思います。

自分とは異なった多様な価値観の環境に飛び込むことで・・・
視野が拡がり、他者を知ることで自分の好き嫌い、強みと弱み、
自分の適性を知ることができ、多様性を理解する多くの経験ができました。
また人種が違う様々な外国人たちと親しくなる人間関係の拡がりは、そのまま視野の拡がりに直結するものだと感じました。

そして、この旅行の途中、アトランタで、3年後の私の人生を変える大工の棟梁に出会います。
物語は、ここから3年後の1989年の冬へと続きます。
つづく・・・
守田 智司
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