pruning

今朝、シンボルツリーであるシマトネリコの剪定をした。
もう15年以上、この学舎を見守りつづけている2本の木。
初夏のこの時期になると、毎年静かに枝を整える時間がやってくる。
剪定という作業は、よく「木との対話」だと言われる。
たしかに、木は声を発しない。
けれど、じっと枝の伸び方や葉のつき方を見ていると、
「ああ、ここを伸ばしたいんだな」とか
「この枝は少し苦しそうだな」と、自然と木の声が聞こえてくる気がする。
たとえば、混み合って風も通らない枝。
押し合うように他の枝を圧迫している枝。
そんなときは、「ちょっと休ませてあげようか」と
静かに問いかけながら、そっとハサミを入れる。
声なき会話。それが剪定という作業の本質かもしれない。
もちろん、剪定の理由は木の健康を守るため。
枯れた枝や不要な枝を切ることで、木はより元気になる。
さらに、剪定は「花が多く咲く」「実がよくなる」とも言われている。
それはなぜか。
木には、限られた力――エネルギーしかない。
枝が多すぎれば、そのエネルギーは分散してしまう。
でも、不要な枝を取り除けば、
本当に必要な枝や蕾、実にエネルギーが集中する。
たとえば、小さな木に100本の枝があれば、
1本の枝に届く力はほんのわずか。
しかし、30本に剪定すれば、
1本1本にじゅうぶんな栄養が届く。
花は大きく咲き、実は豊かに実る。
これは、まるで人の時間や仕事にも似ているなと思う。
あれもこれも、と抱えすぎれば、
1つひとつに向き合う力が弱くなる。
けれど、何がいちばん大切かを選び、
そこに集中すれば、深い実りが得られる。
マナラボも同じだ。
今、自分がするべきこと、届けるべきことは何か。
生徒にとって本当に必要な「枝」に力を注いでいるか。
剪定をしながら、そんなことを考えていた。
今朝は少し雨が降っていた。
しっとりと濡れた葉の上に、剪定で切った枝が静かに落ちる。
シマトネリコとの静かな朝の対話が、
またひとつ、自分の中の枝葉を整えてくれた気がする。
“Pruning is not about taking away, but about allowing the essential to grow.”
— Unknown
「剪定とは、何かを奪うことではなく、本当に大切なものを育てるための行為である。」

守田 智司

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