アトランタで大工をしていた私が、なぜ塾の先生になったのか?【MORITA物語➁】

前回のブログの続きです。
私は、大学4年の夏、40日かけてバックパッカーとして長距離バス(グレハン)を使いアメリカを1周しました。
夜行バスに揺られながらポートランドからインディアナポリスまで・・・
果てしなく拡がる地平線に沈む夕陽を見ながら、
「人生とは?生きることは?」を真剣に考えました。
多分、私の生きる哲学は、ここで作られた気がします。

地下鉄のチェケット1枚買うにしても、道を聞くにしても、今のようにGoogleなんてものはない時代。
とにかく分らないことは、人に聞くしかない。
不便が当たり前の時代です。
だから、危険な目にも合いましたし、人の優しさにも触れることができました。
大学卒業後、エンジニアとして就職したが・・・

大学の工学部応用化学科を卒業後、
金属表面処理を施す際の界面活性剤や金属皮膜処理剤を作るエンジニアとして働いていました。
朝7:00台の電車に飛び乗り、帰りはPM9時の電車に乗って帰宅する毎日。
まさに、当時、流行っていた浜田省吾の「J.BOY」の歌詞
この歌詞と当時の自分を重ねて、帰宅まで1時間かかる電車の中できつく締めていたネクタイを緩めていました。
この時、この会社で10年後、20年後の自分の働いている姿が全く想像できず、
入社して2年6カ月後に辞表を提出することに。
実は、辞表を提出する半年前から、アメリカを旅していた時に、
アトランタで出会っていた、日本人の大工棟梁と手紙でのやり取りをしていました。
実は、大工がしたくて渡米したかったわけではなく、就労ビザを手に入れたくて、その手段に一つとして、まずなんでもいいから仕事に尽きたかったんです。
そして、退社後再びアメリカに飛び立ち、アトランタで大工をすることになったんですが・・・
考えが甘かったんですね。
退社後アメリカに旅立つ前に大問題が・・・
つづく・・・
守田 智司
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