がむしゃらに働いた時間は、消えない貯金になる

61歳になって、はっきり感じることがある。
人生には、ある時点から「新しく積み上げる時間」から
「これまでに積み上げたものを使って生きる時間」へと、
静かに切り替わる瞬間がある、ということだ。

 

僕が独立したのは40歳のときだった。
進学塾を退社し、蒲郡で一人、小さな学習塾を立ち上げた。
40歳以降の人生は、もう片道切符だな、という感覚だけは
今もはっきり覚えている。

戻れないなら、
これまでに積み上げてきたものを信じて進むしかない。
そんな覚悟に近い気持ちだった。

 

それから20年以上、
小規模ながら学習塾を一人で続けてきた。
正直に言えば、
「よくここまで続けられたな」と思うことのほうが多い。

 

個人で事業をやるというのは、
自由に見えて、実際にはすべてを一人で背負うということだ。
教えることだけでなく、
経営、お金、設備、広告、ICT、保護者対応。
コロナ禍では、それまでのやり方が一気に通用しなくなった。

 

個人経営は365日24時間営業だ。
寝ても覚めても、仕事と生徒のことを考える。
だからこそ、
なぜ自分はここまでやれているのかと考えることがある。

 

答えは意外とシンプルだ。
若いころに、がむしゃらに働いた時間があったからだと思っている。

 

人は年齢を重ねるにつれて、
体力も気力も少しずつ変わっていく。
同じ強度で、同じやり方を続けられるわけではない。

 

だからこそ、
人生の前半でどれだけ自分を使い切ったかが、
後半になって効いてくる。

大学卒業後の3年間は、化学系のエンジニアとして働いた。
教育とは無縁の世界だったが、
論理的に考える力と、現場で物事が動く感覚を学んだ。

 

その後、思い切ってアメリカへ行き、大工の手伝いをした。
専門も実績もない世界に飛び込むという、
今思えばかなり無茶な選択だった。
だがその経験が、
「知らない環境でも何とかする」という感覚を体に残してくれた。

 

帰国後、エンジニアには戻らず、
教育の世界、学習塾の講師になった。
さらに32歳で転職し、進学塾へ。
講師から始まり、係長、課長、ブロック長へ。
8年間、がむしゃらに働いた。

 

振り返れば、
効率や余裕とは無縁の時間だった。
無駄も多かったし、
働きすぎだったと言われるかもしれない。

 

だが、その時間は消えていない。

若いころに積み上げたものは、
貯金のように静かに残る。
それはお金ではなく、
判断力や耐久力、変化への対応力として残る。

 

年齢を重ねてからは、
ゼロから何かを作るより、
これまでに身につけたものを使いながら
どう生きるかを考える時間が増えていく。

 

そのときに支えになるのが、
若いころに無茶をしてでも積み上げた経験だ。

 

楽をしてきた記憶は、
後になって自分を助けてくれない。
一方で、
「あの時期を乗り越えた」という記憶は、
人生の後半で確かな力になる。

 

だから今、若い 人にはこう伝えたい。
若いうちに、がむしゃらに働いてほしい。
効率やコスパを考える前に、
自分を使い切ったと思える日を、
一度は経験してほしい。

 

そして今、61歳の僕は、
また新しい世界に足を踏み入れようとしている。

 

古道具の世界だ。
使い古された家具や道具に手を入れ、
次の人へと静かに渡していく。
役目を終えたように見えるものが、
別の場所で、もう一度息を吹き返す。

 

塾の仕事は、これからも続けていく。
教育は今も変わらず好きだ。
ただ同時に、
もう片方の足で、未知の世界にも立っていたい。

 

若いころに無茶を恐れず、
自分を使い切ってきた時間が、
今になって、こうして背中を支えてくれている。

 

がむしゃらに働いた時間は、消えない。
人生の後半に入ってから、
それは静かな貯金として、確かに引き出せる。

 

そう信じて、
これからも自分の歩幅で、
次の誰かへバトンを渡すように、
人生を進めていこうと思っている。

 

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守田 智司

愛知県蒲郡市にあるMANALABO代表。10代で愛知県から大阪、東京まで自転車で走破!大学中は、バックパック1つで、アメリカ1周。卒業後、アメリカ・アトランタにて「大工」を経験。帰国後15年間、大手進学塾の教室長・ブロック長として教壇に立ち、2005年独立。 大型自動二輪、小型船舶2級免許所得。釣り、ウォーキングが好き!作家は、重松清さん、音楽は、さだまさしさんが好き。「質より量より更新頻度」毎日ブログを更新しています。