噺家

 

 

落語を語る人を「噺家」と呼ぶ。

 

「話す家」ではなく「噺」という字を用いる点に、この仕事の深みが宿る。

 

単なる話し手ではなく、言葉を芸として操る者だけが名乗ることを許される呼称である。

 

噺家は、座布団一枚、扇子と手拭いだけを使い、聴く者の心を物語の世界へ引き込む。

 

一人で複数の登場人物を演じ分け、場面や感情を鮮やかに描写する。

 

その所作、間の取り方、語り口が積み重なって、唯一無二の空間を生み出す。

 

長年にわたって磨かれた話術から紡がれる言葉には、人を惹きつける力が満ちている。

 

噺家たちが遺した言葉の中には、生き方のヒントや人生観が詰まっている。

 

桂枝雀は「笑いは副作用のない精神安定剤や」と言い切った。

 

笑いの力を信じ、心をほぐす術として落語に命を懸けた姿勢がにじむ。

 

立川談志は「落語は人間の業の肯定である」と語った。

 

人の弱さやずるさを否定せず、むしろその滑稽さを見つめ直す場として、落語を位置づけた。

 

中でも私が心惹かれるのは、桂歌丸師匠の言葉である。

 

芸歴65年の重みが、その一つひとつに深みを与えている。

 

人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。

 

この言葉に、話芸の本質が凝縮されている。

 

笑いを生むには、共感と観察力、そして繊細な感受性が求められると感じる。

 

「どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。聞き上手が話し上手になるんです。」

 

私は若いころ、落語や漫才を繰り返し聴いた。

 

他者の言葉に耳を澄ませることで、自分の語彙や表現が磨かれていく実感を得た。

 

我々落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。

 

聴き手の想像力を刺激し、心の中に鮮やかな場面を描かせる。

 

その力が、噺家の真価といえると私は思う。

 

薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに芸は人なり。

 

芸と人格は切り離せない。

 

どれだけ技術を磨いても、語り手の心が貧しければ、相手の心に響かない。

 

人間味が芸にそのまま滲み出ると私は思う。

 

言葉を深く掘り下げ、伝える力を少しでも高めようと努めている。

 

話すとは、ただ伝達する行為ではない。

 

心の温度や、相手を思う気持ちが、そのまま声にのる。

 

落語の世界は、人生の機微を知るための宝庫である。

 

そこに響く言葉のひとつひとつが、私たちの生き方に静かに問いかけてくると私は思う。

 

 

 

 

桂歌丸さんは、横浜出身の落語家で、繊細で情のこもった語り口に定評があった名人です。長年「笑点」で司会を務め、落語の魅力をお茶の間に広め、落語界の発展にも大きく貢献しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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守田 智司

愛知県蒲郡市にあるMANALABO代表。10代で愛知県から大阪、東京まで自転車で走破!大学中は、バックパック1つで、アメリカ1周。卒業後、アメリカ・アトランタにて「大工」を経験。帰国後15年間、大手進学塾の教室長・ブロック長として教壇に立ち、2005年独立。 大型自動二輪、小型船舶2級免許所得。釣り、ウォーキングが好き!作家は、重松清さん、音楽は、さだまさしさんが好き。「質より量より更新頻度」毎日ブログを更新しています。
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