アイデアは種まきから始まる 「面白いことは、“準備された人”のもとに降ってくる。」

―情報と出会いが、創造の源になる理由―
最近、ふとこう思った。
「なんだか最近、面白いことがないな」「ワクワクすることが減ったな」と。
でも、それって本当に“世界がつまらない”からではなくて、
自分が学んでいないから、
インプットが足りていないからなんだと気づいた。
面白いことをアウトプットしようとしても、
心の中に材料がなければ何も生まれ無い。
つまり、日々の中でどれだけ自分が“種をまいているか”、
それがすべてなのだと思う。
情報を集め、人と話し、多様な価値観に触れる――。
そんな行動を積み重ねていると、ふとした瞬間に、心の中にアイデアが芽を出す。
「こんなことができるんじゃないか」
「これは形にしてみたい」と、抑えきれない衝動のようにアイデアが湧き上がってくる。
逆に言えば、
情報を集めず、誰とも話さず、閉じた世界にいると、アイデアは枯渇していく。
創造性の源泉は、自分の内面からだけではなく、
自分の外側との“接触”から生まれる。
心理学的視点:創造性は「欠乏」から生まれる
心理学では、創造的なアイデアは「充足」よりも「欠乏」から生まれる。
何かが足りない、もっと良くしたい、変えたい――
そうした感情や欲求が、私たちを動かし、思考を深め、工夫を促す。
私自身、35年以上教育の現場に立ってきた。
「教える」という仕事にどっぷり浸かってきた人生だが、
実は最も大きなアイデアや気づきは、
意外にも教育の外側で得られたものが多い。
遊びの中に降りてくる“仕事のヒント”
釣りをしているとき、ウォーキングをしているとき、旅先でふと景色を眺めているとき――
そんな“余白”のある時間に、ふとしたひらめきが舞い降りる。
「これ、塾でも活かせるかもしれない」
「子どもたちの学びにこうつなげたらどうだろう」
そんな発想は、実は机の前ではなく、遊びや趣味の時間にこそ芽を出すことが多い。
なぜか?
それは、心に余白があるから。
脳がカチカチに緊張しているときより、
何かに夢中になって「今ここ」に没頭しているときこそ、
深いレベルの結びつきやひらめきが起きる。
アイデアの種は、日常のすき間に落ちている
「何か楽しいことをやりたい」
そう思ったときに重要なのは、
その“楽しいこと”を支えるアイデアの種を、
ちゃんとまいているかどうか。
情報を取りに行く。
人に会いに行く。
興味のあることに首を突っ込んでみる。
一見、仕事と関係のないようなことの中にも、仕事を大きく変えるヒントは眠っている。
だからこそ、好奇心を閉じない。
日常の外側に出てみる。
そこから創造の物語は始まっていくのだと
種まきを怠らない
「何か楽しいことをやりたい」と思うとき、
その“楽しいこと”の元となるアイデアが、
どれだけ自分の中に育っているかがカギになる。
だからこそ、日々アンテナを立て、情報を取りに行く。
いろんな人に会いに行く。
異なる場所に足を運ぶ。
そこにこそ、創造の出発点があるのだと、あらためて思う。
YOASOBI「舞台に立って」
種をまくという行為は、すぐに結果が出るものではない。
それでも信じて続けることにこそ意味がある──
そんな思いを強くさせてくれる一曲。
YOASOBIの『舞台に立って』。
この楽曲の中には、こんなフレーズがある。
「かさぶたばっかの毎日も 今に繋がっていると思えた」
「このがむしゃらな毎日がきっと 願った結末に繋がっているって 信じている」
失敗や試行錯誤、遠回りに思えるような日々。
それもすべて、未来の何かに繋がっている「種まき」の一部だと気づかされます。
何かを始めたいとき、アイデアを形にしたいとき。
まずは、心の中にひとつ種をまくこと。
この曲を聴きながら、
そんな一歩を踏み出してみるのもいいかもしれない。

守田 智司

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