終わった人 (講談社) 内館牧子
「個別指導」「小集団指導」そして、「オンライン授業」の良さを取り入れ、子供達のセルフエスティームを高め、やる気を引き出し、生徒の未来を共に築く未来義塾です。
おはようございます、守田です。
先日、親友から、「いよいよ30年以上勤めてきた会社を今月末に退職する」と聞かされました。
1964年東京オリンピック開催の年に生まれた我々は、今年で56歳。
50代はリバーシブル人生だ。
作家の川北義則氏が
”50代はリバーシブル人生だ。「仕事」と「生きがい」という両面を着こなせ!”
と言っていた。
親友にとって早すぎる「仕事」の終焉。
もちろん、「定年」を迎えても仕事を続けることは彼も言っていましたが、どこかその語る言葉が寂しそうに聞こえてきました。
小さいながらも学習塾を営んでいる私にとって会社の決める定年はありません。
ある意味、他人に人生を左右されることは無いわけです。
ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。
いわゆる人生100年時代というやつです。
「100歳まで生きたいかどうか?」は別にして、100歳まで生きたとして、50代はまだ道半ばといったところです。
まだ半分と思った時に、「定年」は老後を左右する大きな出来事に他なりません。
その時期を自分で決めるのか?会社が決めるのか?は大きなことだと思いました。
内館語録が心に残る!
だからこそ、50代後半に突入した私にとって「定年」とは?「仕事」とは?をもう一度考える材料が欲しいと思っていました。
そして、先日書店で内館牧子さんの「終わった人」(講談社刊)に出会いました。
ストーリーとしては、中盤以降の設定など、ちょっと唐突な展開に少し取り残された感がありました。
しかし、作品として、主人公の心理描写やその言葉1つ1つにリアリティがあり共感することが多くありました。
以下、自分の備忘録として作品中の心に残つた言葉を書き残しておきます。
スーツが息していなかったから
冗談じゃないわ。他人に自分の人生を左右されるなんて。
何よりも「余生」という言葉がおかしい。人に「余りの生」などあるわけがない、80であろうが90であろうが、患っていようが生きている限りは「生」であり、余りの生ではない。
ソフトランディングができなかったんだよね。
短い一生で関われる人がどれくらいいるというのか。出会った人を切ることはない、互いに短い命を生きている。すれ違っただけでも、大きな縁ではないか。
思い出と戦っても勝てないのだ。「勝負」とは「今」と戦うことだ。
私、身にしみたから。人生なんて、先々を前もって考えて手を打ってもその通りにはいかないものだって。世の多くの人は、平均寿命は生きると考えて、できる我慢はして、将来のために今を犠牲にして頑張る。でも50代でポックリ、60代でポックリもあるよね。人は「今やりたいことをやる」が正しいと身にしみた。
最後に、「あとがき」を読んで
「若い頃に秀才であろうとなかろうと、美人であろうとなかろうと、一流企業に勤務しようとしまいと、人間の着地点って大差ないのね」ということ。
着地点に至るまでの人生は、学歴や資質や数々の運などにも影響され、格差や損得があるだろう。
社会的に『終わった人』になると、同じである。横一列だ。
人間の着地点は、「死」であるということ。
そこは、みんな一緒なんですよね。
社会に、神様に「もう、お引き取り下さい」と言われたときに、自分自身がどう歩み、どう生き、どう感じたのか?
「人生片道切符」をいい結末だったと少しでも言えるように今日も生きたいものです。
少なからずも、自分の人生は自分で決めることができるのだから。
そんなことを感じさせてくれた作品です。
守田 智司
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